外国での暮らし

失われた愛情

06/06/2010

愛情はいつからか執着に完全にすり替わっていることはわかっていた。
でもその一見とても似て非なるものにわたしはだまされている振りをしていたし、
たしかに愛の形をしていたりするときもあり、そして白から黒になるのを
また白に戻しを繰り返していた。
私が優しくするとしたら、それは自我を満たすためであり、相手に対する
純粋な愛情ではなかったんだろうと今更だけれど思う。
ふたりの間に幸せを感じられない瞬間が、明確な証拠をたたきつけるようであり、
日に日に膨らんでゆく強い執着と欲求が、もうぎりぎりのところで
バチっとおおきな音を立てて全てを壊す、そんな淵に私はいつでもいた。

安定していた春先から、5月に入り突然理由もなくメランコリーに支配されたのは、
ただの5月病でまあよくある症状みたいだが、それでもまた
考えさせられてしまう悪い環にわたしは潜り込んでしまった。
あっという間に仕事は辞め、とてもじゃないが気楽に働く気分じゃなくなり、
ヨガは助けてくれてはいたが、不可抗力にはどうにも楯つくこともできず
相変わらず低空飛行を続けていたところ、その執着を徐々に手放すことが
できて一旦着陸することが出来たのだ。

わたしの思っていた愛情に似た執着から遠ざかるために、わたしは
その頃つねに絵空事の世界を漂っていた。
ずるくてもいいから、むやみやたらと興味もない別の男のことを考えたりしたし、
つまらなくてもいいから、ふだんしないような予定を詰め込んだりした。
そして仕事の最終日と同日にバーモントへ帰り、帰りというのも
未だにおかしいが私にとってアメリカの実家はバーモントであくまで
ニューヨークは下宿といったところ、全てをリセットした。

帰って来たときに、私の執着はまんまと姿を消していた。
わたしは今に在ることができていたし、とてもタオに近くて
身体も心もひらいていた。
帰った次の日から始まる新しい仕事も、何の重圧もなく始められたし、
期待も不安もないその感じは、わたしの求める平安そのものだった。
何の躊躇もなく優しい気持ちでいられたし、
もうむやみに求めたいとも思わなかった。

 

執着は姿を消していて、

そこには愛情も見えなかった。

 

純粋な気持ちは、嘘偽りなく、何も隠すつもりもなく、
わたしはいま執着を探している。
ついさっきまでそこにあった、
絶対に離したくないと感じていた大切なものが
なくなったのに平気でいられることが、
流れる涙の理由だろう。

好きとか、もう好きではないとか、
必要とか、もう必要ではないとか、
愛しているとかいないとか、
ただもっと動物みたいに、いちばん最初のときのように
触りたいとか触って欲しいとか感じたいのに、
なにか重要な器官が麻痺している。

欲しいものが手に入らない時
みんなはどうするんだろう。

わたしのように狂ったように泣きわめくこともせず
ちゃんと諦めるんだろうか
それとも
欲しいと思い続けるんだろうか
今のわたしは、欲しいものが手に入らずに気を違えて
そして欲しいものすら忘れてしまっっている。

 

愛情が、もういちど
強い生命力で芽を出してくれたら
またやって来た夏の夜に汗だくで裸でじゃれあうのに。

 

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