24 Plain White T’s

朝5時に起きて、薄暗いベッドを抜け出すまえに、がさごそと、できるだけ静かめにふとんの中をあさって掴んだのは、白くて柔らかい、無印のTシャツだった。

それは数時間前まで山下が寝るときに着ていたもので、すぽっと頭からそれをかぶり、大抵ベッドの脇か足元に落ちている自分の短いショートパンツをそのまま下着なしに身につける。

ちらりと斜めうしろを振りかえって、そこに眠っている背中が起きないか注意を払う。

わたしたちは、ベッドの上ではわりとフレキシブルで、僕が右じゃないと落ち着かないとか、君が左にいると落ち着くんだということはあまりない。

ひっくりかえってななめになっていたり、ときどき交わったり、そのあっさりした自由はとても心地よい。

わたしはそんなに寝起きは悪い方ではないのだけど、山下が来るようになって気をつけていたことがあって、それはできる限り自分の生活のペースを崩さないということがあった。

それは、ちいさな願掛けのようなものでもあって、自分が無理をして何かをすることで、疲れてしまわぬようにする、わたしなりの習慣だった。

週末だけの、とっておきの時間。ふだん一人でスペースがありあまっている場所に、大きな身体がもう一匹、でんと吐息を立てる夜。

それに甘んじて、大きく寝坊をしたり、仕事をする時間が削られること。

それはわたしを不安にするし、何かを続けるために、他の何かをていねいに続けるということが大切なときもある。

わたしはその夜が、ずっとこれからも続くといいなとそう思っていたから。

短く離れるのを惜しむようにして、うつ伏せに眠る男の首元に顔をうずめてキスをして、ほとんど反応がないことに半分安心しながら、音を立てずにベッドルームの扉を閉めた。

 

 

早く起きるのは、とくに何か用事があるというわけではなくて、静かな早朝にてきとうに物を書くためだった。

いつか山下がうちに出入りしていた頃、わたしは仕事のペースを自由に組めずに四苦八苦していた頃で、彼の存在を邪魔だと感じることすらなかったが、誰かが部屋にいるときに仕事にならないことはストレスなのだと知った。

 

彼が家のどこかにいるけれど、それを忘れられる時間というのは、わたしにとってとても画期的で、早朝のささやかな時間に、キッチンの小さな木枠の鏡に映った自分の顔は、優しかった。

丸首の男物の白いTシャツに平たい胸は、そんなにセクシーとは言い難かったけど、わたしは山下に始終抱きしめられているように、布の端をつかんで匂いを嗅いだ。

ほんのすこしだけいい匂いがして、ほんのすこしだけリュウジの匂いがする。

いつもの白いソースパンに、湯を沸かして一人分のお茶を入れる。

 

「最近は、この無印の白い無地のTシャツにはまっている」と言ったのはその前だったか、後だったか、山下は物を持たずにシンプルに暮らすことの心地よさについて話した。

あまりに質素で、それはいい方向に向かっているのか?どうなのかそのときのわたしには計り知れなかったけれど、とくに詮索しなくてよい気がした。

山下の生きる姿勢みたいなものとか、欧米のさらっとしたいいところを見習って関心するところとか、買うもののセンスについて疑ったことは一度もない。

多分無印のXLの柔らかい白のコットンも、あれこれ渡り歩いて最後にみつけたとっておきなんだろう。

 

山下の身体は硬く、締まっている。見る限りとても硬くて抱き心地は悪そうなのに、実際に触れてみるとそれは本当に温かくて、よく動いてずっとその中にいたくなる。

ときどきごわついた肌の感触や、日焼けした彼の腕に、この白いシンプルな優しい布がまとうんだなと思うと、そのギャップみたいなものにわたしは嬉しくなった。

女を抱いてその肌に触れるときも、同じように柔らかなものを選ぶんだろうか。

 

外国で暮らす直前くらいまで、延々白いTシャツとジーンズを制服のように着ていた頃を思い出す。

わたしはセオリーの袖の短い胸が大きく丸く空いた、つるっとした生地のTシャツが好きだった。アメリカに住んだあとも何枚も何枚も同じものをずっと買い続けた。

着なくなったのはいつか忘れたけれど、そういう生き方はとても良いと思う。

 

2時間くらい経って、彼が起きる音がする。

目の悪い山下は、ときどき朝方ベッドの上で、わたしに「今、何時」と訊いた。

壁にかかった時計まで、その視力は届かないのだ。

 

コンタクトを入れる前の山下はメガネをかけていて、それはコンタクトの時よりも優しげでよく似合っていたが、何も言わなかった。

彼が自分のタイプの姿になるのは、もっとずっとあとになってからでいい気がした。

わたしは日焼けしたスポーツマンよりも色白でメガネをかけた、ぼやっとした腹の出た感じのインテリ男が好きだ。

 

山下が、わたしの好きなタイプにどんどんなっていったとしたら、多分わたしはいてもたってもいられないだろうし、彼のことを好きじゃない好きじゃないと言い続けることで、なんていうか自分は自分を保っているような、そんな気がするのだ。

 

山下は、わたしが彼のことを大好きだったことを多分知っていたと思う。

いつか、大好きだと素直に一度も言えなかった時間を、わたしはこの先取り戻すことができるんだろうか?

 

 

眼鏡姿でのそっと台所に現れた寝起きの山下は、半オクターブ低い声で「おはよう」と言って上半身裸のままわたしを後ろから抱きしめた。

「おはよう」

そう言って彼にキスをして、2人分のお茶を入れるための湯に火をかけ始まる朝。

 

山下はわたしが勝手にTシャツを着ていることについて何も言わなかった。

今日のことやパンに塗るもののはなしをしながらそのままいつも通り時間はすぎて、ゆったりした週末の朝がずっと経過してから、

「いいTシャツ着てるね」

とこちらを見ずにぼそっと言った。

 

 

次の週も、眠って起きた朝にそのTシャツを頭からスポッとかぶって早起きしたわたしは、それがお気に入りであることを山下にアピールし、日曜日に彼が帰ったあとに、ベッドの上にちょこんと白いTシャツが畳んで置いてあるのに気づいたのだった。

 

 

 

 

 

(今後は不定期更新です。)

 

かぞく

23 ちんこ

「ちんこの写真以外は、載せていい」

 

山下は、うどんの上にしょうがはのせないけどネギとゴマは置いてもらって構わない、みたいな言い方でそう言った。

ひとつだけ念のために言いわけをしておくと、わたしは男児の母だけど、ちんこちんこと平気で口に出せるような破廉恥な人間ではない。うんちはかわいいから言える。それは母の愛だ。

とくに奥ゆかしい女を演じたいともおもってないけど、自分がつかうことばにはどうにもガイドラインがあるみたいで、口には出せないけど書くと書けるものもあれば、文章ではよくつかう言い回しだけど、喋るときには一度もつかったことのない言葉もあるし、いっこだけ、呼び名をどうするのがよいのか?

ずうっと悩んでいたのが、そのちんこの存在だった。

ひわいな単語をいちいち口に出すのが面白いとはぜんぜん思えないから、ペニスがどうとかも考えたけど、それもまた変だし。

わたしは息子がなんど口にしても借りられなかったその言葉を、山下から拝借することにした。

 

 

「載せていい」、というのはつまり、こういう場で表に書かれてもいい、という意味なんだけど、それについては実は、過去も入念に山下と議論した。

わたしはとくに、他人の悪口を外で言う悪趣味はないけれど、やっぱりこれまでになんども、誰かのことを記録に書くたびに、「これは俺のことか」と面白くないように言ってくる男たちは多かった。

わたしのひとつのテーマは、誰かを癒すとか、愛するとかと並んで「書く」ことだった。

バックパックに大事にしまった村上春樹のぶあつい単行本は、本を読まなかったわたしに「書く」勇気を与えてくれて、そして、山下もまた、その勇気を実際にわたしに与えてくれた、大事な存在だった。

 

 

「むかしは、年収と、会社名以外は書いていいって言ってたね」

 

 

わたしはちんこの写真について触れた山下に、一字一句正確に思い出すようにそう言った。

「えっっそうだっけ」

 

と忘れていたらしい彼は慌てて言ったが、ちんこの存在は、新たに彼の中で載せられては困る存在に追加されたみたいだった。それは3年経ってあらわれたときに、毛がなくなっていたことが関係していると思う。いろいろ理由があって脱毛したらしい。

それを聞いた時には落胆した。つるっぱげのちんこ。悲しい。

 

 

ところで山下のその基準がどこにあるのか、ただの冗談なのかわたしには計り知れないけれど、当時年収の額を真っ向から訊ねたわたしは、それは普通に高所得者に部類されるわりに、はずかしいものなのか、と思った覚えがある。

山下のお金を稼ぐちからは優れていて、それは、お金のコンプレックスからきているらしい。

わたしは、お金を稼ぐちからはとくに優れてはいないんだけど、お金の不安とコンプレックスは長くひとしおだったので、山下がなんでも買ってくれるところは好きだったし、お金を稼ぐちからがあるというところも好きだった。

 

わたしのなかの、お金の不安が解体されたのは、山下と別れてしばらくあとになってからで、文字通り無一文になったときだった。

それはわたしをどちらにもいけなくさせて苦しんだけど、結果的にはその不安もすべて消えることとなって、正真正銘お金から自由になることになる。

 

シックスパックについての言及とおなじように、山下の中ではむしろ自信のあるところを隠すようになっているのかもしれないけれど、なにか得意なことがある人間にとって、それが不安を覆い隠すために保っているときの、あの綱渡り感というのはもう二度と体験したくない。

先に書いたエゴの解体のはなしと同じで、不安や恐れや犠牲から積まれた城というのは、いつ何時壊れてもおかしくないようになっていて、その気が休まる瞬間がない感覚も、いやというほどこれまで経験してきた。

それはオセロがひっくり返るときのように、黒から白にあるとき変わる。

すてきな身体を保つことや、お金をたくさん稼ぐことの原動力が、不安をごまかすためじゃなくて、愛に変わるとき。わたしたちは、本来のちからを発揮するようになる。

 

それはつまり、山下不安がいつ爆発して無一文になってもおかしくない、という意味なんだけど、それもまたよき旅だなあと思うのは、自分がセラピストであってよかったとおもうことのひとつだ。

わたしにまだお金の不安があったなら、それは困る。

でもそれをもし黒から白にひっくり返すことができたら、山下は多分今の何倍も稼ぐようになるだろう。稼ぐことがすてきという意味ではなくて、自分を犠牲にして働くところから、自分を楽しく与えて働くことにシフトしたときの、ひとの無限の可能性というのはすばらしいものだ。

 

ところでちんこの写真以外は載せていい、というのは、ちんこについての描写はしてもいいということなのだろうか?

いっとくけど、山下のちんこについて知りたいひとは少ないと思うし、その稀なひとのために親切に書いておくと、山下のちんこは普通だ。

とくに立派でもなく、貧弱でもなく、とてもきれいでまっすぐな標準のちんこである。少々の可愛げもある。

 

わたしはいろんな国の男ともときどきセックスをしてきたが、欧米人のちんこというのはやはりサイズ感は体に対して大きく、ちょっと背が低めかなというひとでもちんこは十分なサイズだし、バランスよく背が高いひとというのはちんこは大きすぎて痛い。

小さい男はテクニックを磨けばそれで問題は解決されるけど、大きい男はそれはそれで悩みどころだ。

わたしの乳が貧弱なのはそう祝福すべきことではないけど、巨乳の女にもそれなりに悩みはあるのかもしれない。

 

男同士の会話を盗み聞きするようになって、息子が嬉しそうにちんこの話をしているのをよく聞くようになった。わたしにも、彼はときどき「ママにはちんちんがついてない」と普通の子供が興味をもつように訊ねてきたけど、一度もそれについて取り合ったことはなかった。

とくに抵抗してたとか拒絶してたわけではなくて、ふつうにどう返していいかわたしはよく知らなかったのだ。世の父親が、小さな男の子とどんな話をするのか興味はあったけど、訊く相手もいなかった。

山下が何度か5歳になった息子を風呂にいれてくれたことで、自分にとって息子に経験させてあげられない1つの大事なことが初めて叶ったような気がした。

ちんちんの戦いごっこ、それはもしかしたらボール遊びよりも大事な経験だ。

 

いちいち冒頭に、ちんちんファイターとか、やれちんちん攻撃とか楽しそうに話す彼を見て、わたしは幸せであった。

山下が一度帰るときに、玄関で見送りながら「ちんちんバイバイ」と言った5歳児に、「りゅうじのちんちんは、いいちんちんだな」とわたしは言った。

「そんなに大きくはないけれど、ママにはちょうどいい」と静かに追記すると、山下は

 

「オイッ 余分な情報だぞ」

と返した。

いつどんなときも、わたしが自由に彼の話をしていいというのはなんて幸せなことだろうと思う。それは実は、すごいことだ。

 

山下は、これまで付き合った男の中でもダントツで普通だが、よくよく思い返してみても、これまで付き合った男のなかで「ちんこ以外の写真は載せてもいい」と唯一許した男だった。

 

それは、潔く、まっすぐに勃ったときに本当に美しくわたしを気持ちよくさせてくれる山下のちんこくらいに、すてきなことだな、とわたしはそう思った。

 

 

 

 

かぞく

22-2 ごめん

わたしは、彼に、大事なことは「離婚をすること」ではないということを説明しつづけた。
離婚をするのかどうかが大事なのではなくて、それは「自分の意思」で決められることを、まず理解することが大事なのだ。

 

最後のほう、わたしにとってもはや山下が離婚しようがしまいが、割とどうでもよくなっていた。ほんとうにそれは王将で餃子が売り切れていたことくらいどうでもよくて、ただ延々と人のせいにして隙あらば逃げるような態度で言い訳をする山下に、わたしはすでにうんざりしていたのだった。

セラピストとしての自分の力量に限界を感じていたが、それがなかなかうまく進まないことに、別の理由が働いていることにわたしは気づいていなかった。
それは、わたしたちの間柄がセラピストと山下ではなく、男と女でもあったという理由だ。

わたしは冷静でいる時間と、激情にのまれる時間を行ったり来たりしながらよく山下の前で泣いた。当時まだまだ、大好きな男にただ愛されたいとこころから願っていたわたしは、彼にほんとうに素直に自分の欲求をぶつけたし、ひとりの女として、ただわき目もふらずに自分の元に来て欲しい、という気持ちに正直だった。

そういう個人的な感情が介入すると、彼が本当の自分に気づいていくスピードが遅れてしまうことが、3年以上経った今ようやくわかる。

 

 

それは、最後の晩餐のような夜のことだった。

わたしは、これ以上不毛な恋愛を続けてもしかたがないし、これ以上不毛なセラピーの試みを続けてもしかたないな、という結論に達した。

カレーが食いたいならカレー屋にいけというのがわからないなら、もうわたしにできることはない。
あれはいま思い返しても、我ながら勇気を持って臨んだ回だったなあと思う。

わたしは山下に、ほんとうに丁寧に、最後にもう一度、必要なことを伝え、「これで離婚が成立しなかったら、わたしたちも会うのをやめようね。」

というような話をしたのだった。

あれはしかし、切なかった。
まあ、その辺の潔さは山下の女々しいところに比べると、わたしのほうがはるかに男気あふれており、それが功を奏したのか、山下はその直後に同じく勇気を出すことになる。

 

 

奥さんと話をしては、何度も失敗をして戻ってきた山下だったから、最後の晩餐の翌日、「やっぱり無理だった」と全てが終わっても、とくに不思議ではないと思っていた。

言いたいことは言ったし、伝えたいことは伝えたし、わたしは全身で愛を表現し続けたし、全力で彼を癒そうとがんばったし、とりあえずこちらに悔いはない。

山下は春に離婚を成立させる話を進めていたらしかった。いつも山下が、わたしの半径3メートルくらいに立ち洗い物をしたり、わたしの部屋でお茶を飲んだりしている残像とともに、ひとりぼんやりすごしていた夜のこと。

小さな息子が寝静まったあとの時間、山下から「離婚届にサインをもらった」と連絡があり、うちに向かっているという。

それは、年が明けてまもなく、まだ春にちいさな緑の植物たちが、萌え出づるよりもずっと早い、寒い冬の時期のことであった。

 

 

 

わたしは、山下がそれまで自分の期待を裏切り続けてきたことに慣れ過ぎていて、まさか反対方向に振り切って裏切るとは想像だにしていなかったもので。

深夜に、ぎゃーと叫びたいきもちを抑えながら、慌てて彼を迎え入れる準備をした。たしか、疲れて帰ってくる彼をとにかく自分の最大限の温もりをもって迎え入れようと、玄関の香りをいつも来客があるときと同じように一生懸命選んで焚いたことを覚えている。

彼がどんなきもちで、どんな思いでその場所におもむき、それを成し遂げるのにどんなに勇気を出したかを想像しただけで震えた。

あとにも先にもあんなに感動した瞬間はない。

 

玄関をあけて転がり込んできた山下は、そのまま間もなく床に倒れ込んだ。

わたしが心を込めて選んだ玄関の香りのことなど、一ミリも感じ取る余裕などみせぬまま、リビングの扉を開けた瞬間に、ソファや椅子までたどりつく間もないまま、キッチンの近くの床にうつぶせになって、死んだかとおもった。

 

わたしは胸にこみあげるようなやさしいきもちを目一杯感じながら、黙って彼の姿を迎え入れて、そっとその倒れた人間の身体に鼻を近づけると、かすかなタバコの匂いがした。

それはわたしが一度も嗅いだことのない、山下リュウジの匂いだった。

 

よくがんばったねとか、おつかれさまといった言葉はとてもじゃないが似つかわしくないとそう感じて、ほんとうに言葉に詰まった。

わたしは目に涙を浮かべ、彼は腕で半分顔を覆ったまま、

「ごめん」

とそう言った。

 

「マイ、ごめん」

「いっぱい泣かせて、ごめん」

 

 

 

リュウジがわたしに謝ったのは、出会って数ヶ月経ったその夜、

初めてのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

22-1 ごめん

山下が、わたしを二回大きく揺さぶったときの「ごめん」は、山下が二度目の結婚の、離婚届を握りしめてうちにやってきたときに起こった。

わたしはところで、彼に離婚してわたしとつきあってほしいとか、三度目の結婚をしてほしいとか、そいうことはほとんど考えていなかったと思う。では何にそこまでイラついていたかというと、彼が自分の人生の責任を自分でとれずに、すべてをまわりのせいにしていた部分だった。

わたしはセラピストとして、彼が苦しんでいるところを噛み砕いて解決することに全力でとりくんでいるところで、それには「自分がひとつひとつのことを自分の意思で選択していく」というシンプルなことが、今日の朝ごはんをパンにするかごはんにするかの一億倍くらい大事だということを彼に気づかせる、ということが含まれていた。

それは、気づいているものからしたらとてもシンプルだが、気づいていないものからすると、意味がわからない仕組みになっている。

カレーを注文し、カレーを食べる代わりに、ラーメンを注文し、ラーメンが届いたことに「なんでカレーが来ないんだよ!」と文句を言っているくらいに、それはシンプルである。

たとえばそのときの山下は、離婚したいが、彼女は離婚したくないからできない。という他人軸の人間からすると至極自然な悩みをかかえていた。

自分軸の人間というのは、世界で起こっていることを「自分が選り分けてそれが目の前にある。」ということを理解している。つまり、自分の人生や自分の幸せについての責任は自分にかかっている、ということを知っているのだ。

山下にはその感覚が芽生えていなかった。まだ、カレーを注文すればカレーは来る仕組みをしらないのだ。

それはある種、山下の言葉を借りるとすると「人類の大半がそうなのでは?」
というくらい、気づいている人間と気づいていない人間のふたつにぱっくり別れる分かれ目だ。これまでなんども、同じところでつまづいてきた人々を導く手伝いをしてきて、ほとんどのひとは理解するに至るけど、そこまでいくのに最も骨が折れる節目になる。

 

わたしもまた、いつか昔、自分の幸せは、世界が与えてくれるものだと錯覚していた時期は長かった。
苦しいのは、自分のせいじゃなくてだらしない彼氏のせいだとか、こんな母親のせいで自分は不幸なのだとか、仕事の上司がアホすぎて自分は虫唾が走るような思いをしなければいけないのだとずっとそう思ってい生きてきた。なにもかもが嫌になって外国で暮らして、それなりに目先の充足感は感じられたが、まさか自分がラーメンを注文していたことに気づいたのは、ずっとあとになってからだった。

 

全てが見当違いで、なにもかも自分がそれを選択しており、幸せでいるも不満をもらすも全部元凶は自分だったことに気づいたのは、ちょうど山下の前につきあって子供ができた彼とのパートナーシップだった。

わたしは、そこにとどまるか否かを、彼の態度によって変えた。
自分が幸せでありたいか、自分がどうしたいかよりも、彼がこういったから別れるか、彼がこういったから一緒にいるか、そちらを中心に自分の行動を決めたのだ。
わたしは地獄に落ちた。

 

他人軸と呼ばれるその生き方は、どれほど自分を磨こうと努力を重ねても一生報われないような仕組みになっており、そこで本当の意味で人生の舵をとるのは自分であることにきづかない限り、絶対に幸せにはなれないことを意味する。

カレーが食べたいのに、カレー屋かファミレスに行かずに延々ラーメン屋やピザ屋に足を運び、不満を抱える。

 

山下は、とてもわかりやすい感じで、自分が残業から抜けられないのは会社の体制が悪いからで、自分が不幸な結婚に苛まれているのは奥さんのせいで、離婚ができないのは、彼女が離婚したくないからだ、といつかのわたしのように、言い続けた。

ラーメン屋にカレーが置いてないのは実際事実だが、悪い条件や悪い環境を選んでいるのもまた自分であるということを、わたしは繰り返し繰り返し説明し、少なくとも感情的にかなり傷ついて疲弊していた彼のことを守ろうとした。

目の前に、自分を傷つけ続ける何かがあって「この機械は自分の腕を切り刻むが、重くて動かせない」とい言うとき、ひとは自分の身体を血だらけにし続けても逃げることができない。
機械が重くて動かせないなら、自分がその場から立ち去ればいい、それだけのことが見えないのだ。

 

逃げられない理由というのはひとによって色々で、ほとんどの場合は深く傷ついている感情が関係している。例えば小さい頃に母親からがんじがらめに縛られて育ったときに、自分には意思をもって何かを選ぶ権利はない、とひとは思い込む。

そういうのを解除して、本当は自由でいていい、という感覚を人々に取り戻させることがわたしの仕事のうちのひとつだった。

山下は、わたしが説明することを理解しようとつとめたが、理解できずに苦しんだ。

 

離婚できないのは、自分のせいじゃなくて、ラーメン屋にカレーが置いてないせいだったし、目の前にいる女がぶつくさ言うことも、カレー屋に餃子がおいてないせいになった。

 

先日山下から、「餃子の王将に来たが、餃子が売り切れている。店名を変えて欲しい」と連絡があった。

これは他人軸とは関係ない。

山下は不運だ。その週末、わたしは餃子を作って不運な他人軸の男に食べさせた。

 

 

かぞく

21 癒しとはそういうもの

人間の潜在意識というものは、知れば知るほどあっと驚くことばかりなのだけど、そのうちのひとつに、ひとは何かを癒したいと思ったときに、傷ついたときと全く同じ状況を見事なまでにつくりだすという特徴がある。

それは、自分で「なにかがおかしい」と気づくまで何十回と繰り返される。

たとえば繰り返しいろんな人とつきあうのに、必ず最後は同じように終わるとか、必ず同じようなところでいやな思いをする、というのにはちゃんと理由があって、シンプルに言えば傷が癒えていない場所にそれは起こる。

わたしは特に、山下をいじめたいわけではなかったけど、傷をあぶり出すことは積極的にやったと思う。

感情がほとんど死んでいる彼のどこかを揺さぶらない限り、それは表面まで上がってはこない。セラピスト関係なく、もともとわたしは激しく感情的な女だが、すくなくともこの仕事をするようになってからは、それを吐き出す一連の時間について、自分で何が起こっているか把握したうえでそれをやるようになった。

つまり、時と場合と相手によって、ぶつける場合もあれば、調整することもあるということだ。

山下の場合は、全力で挑み、とにかく彼の感情をなんとかして引き出したい気持ちはあったけれど、それは失敗した。

感情をあぶり出すのは、棘を抜くためである。

身体の中心に埋め込まれた棘は、とにかく見えないことには取ることはできないのだ。

それはあぶり出されるところまでで止まり、そのあと取り除くには至らなかった。

彼は、いつもどおりいたぶられるだけいたぶられて、そしていつもどおり背を向けて、もう一度身体の奥底にその棘をしまった。

わたしは好んで悪役を演じるわけではないが、単純にプロセスとして彼を揺さぶることがひとつ重要なことだと感じていたのもあって、遠慮なくぶつかった。
癒し手としての関わりと、ひとりの女としての彼への愛は、毎回壮絶なバトルを繰り広げ、わたしはわたしで沈没し続けた。

 

山下にとっての挑戦。それは、自分の奥底に眠っている痛みを取り除く勇気をもてるかどうか。
そしてわたしにとっての挑戦。それは、自分の愛するものを、セラピストとして、ひとりの愛する人間として、ふたつの異なる場所からどう関わっていくか。
というものだった。

 

とかく当時、派手に失敗した我々は、勢いよく別れに向かいそれから月日が過ぎた。

 

話を戻すと、山下は自分を抑えて他人と関わることが板につきすぎていて、腹が立ったことをきちんと相手に伝えたり、「お前いいかげんにしろ」と私に向かって言うことが一度もなかったのだ。

それは同時に、わたしを尊敬したり尊重したりする愛はあっても、なにかを「かわいい」と愛でるときの愛が欠落していることを意味していた。

Admire という単語と、Affection という単語がある。
前者は、敬愛する、というような意味。
後者は、ひとが子供や妻に対して愛おしいと感じるときの、愛だ。両方とも、わたしの大好きな英語。

 

山下が階段をおりてきて、「どうして、もうすこし待てん?」とわたしに困ったように言ったそのときが、唯一彼のAffectionが垣間見えた瞬間だった。

わたしはそれ以外、ほとんど彼から愛されているという実感を感じる瞬間はなかった。

彼は懇々とわたしに尽くしていたし、会いにきて世話はしていたが、そのことと彼からの愛を感じることは別だ。

 

 

さて、二回目に、彼がほんとうにわたしへの愛を誠意として表現して、それを全身でわたしが感じ取ったのが、一度だけわたしに「ごめん」と謝ったことだった。

彼には謝ることのできない理由があり、それは強い抑圧と同時に彼が抱えている、激しい罪悪感だった。

罪悪感を感じている人間は、その元凶がなんにせよ、謝ることができない。矛盾しているように聞こえるけれど、自分をいやというほど罰し続けているときに、ひとはこれ以上他人から責められたらもはや自分はそこに存在することは不可能だと感じるがゆえに、頑なに「自分は悪くない」と思おうとする力が働くのだ。

そういうとき、わたしたちは自分をとにかくギリギリ保つことをしなければいけない。

それは、絶対に不落の堅城鉄壁を空に届くほど高く積み上げ、その前でそれを死守するのに似ている。相当な労力をかけた、自分の全てを守りに注ぎ込んだわりに、ひたすら消耗して最後はその壁は崩される運命にあるのだけどね。

まあ、エゴという名の恐怖だとか、罪悪感やら自分を陥れる感覚というのは、どれも最後には破壊される運命にある。
愛や光や癒しといったものの前で、それはネズミの乾いたウンコくらいなチンケなものなのである。

 

が、しかし、その実に単純な、「いつかどこかで悪いと思ったこと」をそのまま「悪い」と感じるということが、どこかのアジアの山の奥で旅行中に落としたピアスの片方を探し当てるくらい、もしかしたらそれ以上に難しいこともまた、わたしは経験上よく知っていた。

 

わたしたちは、どんなときでも失敗をしたり、ミスをする。
それはとても些細なことから、ひとの生死に関わる重大なことまで色々だけれど、それが起こったときに素直に悔いて、謝ること。

それは、失敗した自分を許すことや、いつかどこかで自分を責めて怒ってきた相手を許すことや、ごめんなさい、という感覚に圧倒されながらもそれを感じきっていくことでやっと起こる。

ようやく自分が何を感じているのかを知り、そのことを自分とつながると言ったりする。

 

 

山下が、転がるようにわたしの部屋に深夜やってきて、「ごめん」とはじめて言ったときの、それまで無臭だった彼の身体からはじめて匂った彼の匂いのことが、今でも忘れられない。

 

 

かぞく

20 リュウジとマイ

いつか、山下と一緒に過ごしたのは2015年の暮れのことだったのだけど、その短い数ヶ月のあいだ、たった2回だけ、彼に心をわしづかみにされたことがあった。

一回は大げんかをしたかたしか別れ際のときで、なにが起こったのかよく覚えていないけれど、わたしは山下の家の、2回から階段を降りた玄関のそばで、突っ伏して泣いていた。
激しい嗚咽と、まだ山ほどいろいろ抱えていたわたしは、山下の気持ちがあっという間に冷めたことに対して死ぬほど苦しいきもちに圧倒されて、ほとんど無視されていたか、一緒に眠ったのに抱いてもらえなかったか何かで、崩れるように床にうずくまっていたのだった。

今は、相手の態度と自分への肯定感は別の場所に位置しており、どれだけひどい扱いを受けたとしてもそれはそれ、わたしには不動の価値があるとあたりまえに感じられるが、当時はそうではなかった。

些細な彼の冷たい表情は、自分には愛される価値がないと感じるに十分だったし、山下に嫌われたことは、そのまま直結して自分を激しく罰し、傷つけることになった。

そんなことが度々起こりかけていた頃、そのとき本当にわたしの知る山下の、非常に短い山下歴のなかでも、ほんとうに一度だけ、山下が、わたしを包み込むようにして上からものを言った瞬間がそのときだった。

山下は基本、気が優しいというか、工事現場のおじさんの外見をした、繊細な20代のOL(美人)なのである。
女子力は一流に高く、主婦として申し分のない料理のスキルに掃除のスキル、趣味の良さに気の利かせ方、細やかでさりげない話題をふれる、あんな彼女がぜひとも欲しい。
対してわたしはといえば、繊細な20代の美人(ウソ36歳)の皮を被った、工事現場の荒っぽい酒飲みのおじさんなのである。

まだ小さかった息子がヨチヨチだった頃のはなしだけど、ちいさな彼がどこで何をしてたのかまったく思い出せぬほどわたしは自分のことでいっぱいいっぱいだった。

独立したてで不安な仕事を抱え、自分にはやるべきことがあると燃えていた。

真冬のまだ冷え切ったリビングには、シンプルな家具の間にひとつ、昔風のデザインのストーブが鎮座しており、それに点火するやりかたがどうしても覚えられずに何度か山下を呼びつけた。

かろうじてその家の鍵をもたされていた私だったが、その頃には山下の気持ちは結構な具合で冷めていて、ちょうどその季節とおなじくらいの冷え切った風が二人の間にぴゅうと吹いていた。

しゃくりあげるように泣きながら寒いリビングの片隅でうずくまるわたしに、しばらくして山下は階段をおりてきて静かにこう言った。

 

「どうして、あとすこしだけ待てん?」

 

呆れたようなその物言いと、まだ愛がそこに残っていて繋がれていたわたしは、本当に不安だったところから突き落とされずに済んだ。

それだけでなく、山下がわたしよりも上にいると初めて感じて安心した瞬間だった。

いつなんどき山下を失うか綱渡りのような恋に、自分でも持て余す気性の荒さと、エスカレートしていた山下へのいじめ。彼は彼で色々なものを抱えていて、ほとんど感情を表に出さなかった。

わたしにとってはそれが怖くてたまらず、もうダメだと何度思ったか数えきれぬほどに私は泣いてヒステリックに暴れ、山下はそのうちうんざりして去ることになるのだけど。

言葉もつまらせて涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった、床と自分の鼻の境界線もわからなくなったようなわたしの縮んだ背中を、山下は大きな身体で包み込むように、そう言ったのだった。

 

普段ほとんど、わたしが上からものをいう関係でダメ出しされ続けていた山下は、わたしにはほとんど何も意見を言わなかった。

それは英会話のレッスンがスタートした瞬間から、もしかしたら始まっていた。

何かを言ったとて、言い負かされて終わるしか道はないと思ったのか、わたしという人間に呆れていただけなのか、これ以上セラピストの彼女に、自分の抱えている心の問題について触れられるのが怖かっただけなのか、それはわからない。

わからないけど、その二人のパワーバランスはとても対等とは言い難く、ほとんど暴力的なまでに、「お前はなんでそんなにダメなんだよ!ちゃんと家事やれよ!!!」と夫に言われ続けてじっと黙る女の図そのものだったのだ。

 

もちろんその男とはわたしのことで、黙る女は山下のことだ。

わたしはそして、特に、男を従えて上から物を言いたいという趣味は持っていなかった。

 

ユウ君とわたしが、よき関係にすぐおさまった最初の理由の一つはそこだった。彼はいわゆるドSという気質を持ち合わせており、わたしはドMという気質を持ち合わせており、実際の成熟度はさておき、演じ手として二人は心地よい役まわりを担当できたのだ。

「ほんっとにお前は」

と上からものを言われるたびに、目を輝かせたダメなうさぎのような顔をして、わたしは年下の彼に懐いた。

 

対照的に、山下は、どんな女をも自分をいじめる男に仕立て上げることを無意識にやっていた。彼の好きなタイプは、どう考えても気の強い感じの女(わたしを含む)だった。

わたしが階段の下で突っ伏して泣いていた直前まで、山下の2回目の奥さんだったひとは、同じように山下をいじめ抜いていたらしかった。

そこで根深くついた傷を、何度かセラピーで癒す試みをやってみたが、硬く鍵がかかったそれは頑丈に記憶を奥底に埋め込み、わたしは山下が冷や汗をかいて恐怖におののく姿を何度か目にしただけで、癒すには至らなかった。

それはセラピストとしては、とても辛い時間だった。

そして、それだけならまだしも、わたしは彼の前で、彼をもっとも苦しめるその役を率先して演じなくてはいけなくなったのだった。

 

それは、癒しのプロセスにおいてとてもよく起こる、自然な現象だった。